町の歴史を探ってみると

 そのドイツ人は、私に正対してきた。

身長185cmはある屈強な体を折り曲げ、私の腕の3倍はあるかと思われる二の腕を突き出し、


「ジョンと言います」と日本語で書かれた名刺をくれた。

「日本語出来るのですね?」はっきりと聞き取れる日本語だったので、日本語で聞き返してみると、

「いえ、少しだけ」と言いながら続けて聞いてきくる。

「ここは、何ですか?」よく外国人がしてくる質問だ。


我々の宿は東海道に面して建っている築約100年の町家を利用している。ホームページに宿の写真を載せているので、この建物に関しては予想通りといったところだろうが、窓の外の風景には皆、圧倒されるようだ。向かいの建物は江戸時代のもので、描かれた浮世絵も残っているほどの文化財。通りの両脇に古い建物が並んでいて、来て見てびっくりといった感じだろう。


MADO向かいの山形屋を描いた浮世絵 江戸時代の繁盛ぶりを思わせます

「東海道は知っている?」まずは基礎的なことから聞いてみる。

「はい。江戸から京都への道?」しっかりわかっていた。そんな日本好きの外国人には、ちゃんと説明せねばと、コモンルームの机へ誘導して相対することにした。


「東海道は、今で言うインターネットだったんだよ」、そう言うと彼はきょとんとして、鍛え上げられた大男の顔がかわいらしく見えた。


徳川家康が1600年に関ヶ原の戦いに勝ち、その1年後には東海道を整備して、宿駅伝馬制度を敷いている。書状や荷物を京都から江戸まで最短3日72時間で届けることができたとか。そんな話から話始めるのである。


どうやって3日で運ぶのか?


家康は、まず五十三の宿場を作り、宿場には問屋(といや)を置き幕府が直轄で管理して、36疋の馬を常時置くことを命じています。書状や荷物が、宿場につくと問屋場(といやば)で積み替えられ次の宿場へ運ばれていきました。人馬は、一つの宿場間、距離にして2里から3里を全速力で駆け抜け次にバトンタッチ。夜も走り続けるから約490Kmの道のりを72時間で届けることができたのです。


なぜ急いで東海道を整備する必要があったのか?


家康は、戦国の世を通して情報の大切さを痛いほど感じていたことでしょう。ことに17歳の時に今川軍として敗戦した桶狭間の戦いで、2万5千の兵にたった3千の兵で挑んで勝利した信長の情報戦略の恐ろしさによって、情報が戦の勝敗をわけることを教訓としていたはず。情報の通り道としての東海道の整備を急いだ理由は、戦だったのです。


日本語と、とんでもなくブロークンな英語で説明すると、ジョンは大きくうなずいて、堀が深く澄んだ青い目からは「もっと教えてくれ!」と言わんばかりの光線が出ている。

それではとばかり、話を進めるのである。


制度維持はどうしたのか?


問屋は、幕府直轄で命を受けているのですが、書状や荷物を運んでも幕府からお金はもらえません。では、どうやって生計を立てていくのか?幕府の書状などがない空いた時間に、民間の手紙や荷物を運ぶことを許され、その代金を得ていたのです。


東海道には並木や一里塚も整備され、宿場には本陣・脇本陣をはじめ、旅籠屋(はたごや)や木賃宿(きちんやど)ができて街道として機能し始めます。

交通量が増大し、商品流通も活発になり、商人、職人など定住するものが増えていきます。宿場の住人が増えることにより、人材確保面でも宿駅伝馬制度や参勤交代を支えることができたのです。


軍事用から民生用へ


こうして設備や人材が整っていき東海道は民間にも広く利用されるようになります。江戸中期には平和を謳歌するように多くの庶民がお伊勢参りをするために利用するようになりました。情報も、物資も人も行き来して、皆で利用できるインフラとなったことを鑑みると

まさに、軍事目的で作られたインターネットが、民間で広く利用されるようになった現在の情報網と同じだと思われます。


歌川広重の描いた鳴海宿 実は有松を描いている 女性を含めて多くの旅人が東海道を利用している

「Oh! Ieyasu 頭いい!」彼は満足そうに外の風景を眺めている。


「東海道ができたから、この有松の町並みがあるんだよ」


有松は宿場ではなく、宿場と宿場の中間にある間の宿(あいのしゅく)。通常は茶店などが街道沿いにできて旅人が休憩できる集落だが、この町では絞り染めが盛んにおこなわれ道行く人にお土産として人気を博したそうである。そんな話を付け加えるとジョンさんは

「京都より素晴らしい!」…… 結構単純に感動している。

「この宿にstayして良かった」としみじみ言ってくれた。


外国人はもとより日本人の若い人にも興味があればこんな話を時折している。この町で宿をやっている理由は、育った町の歴史を知って欲しいと考えたからだから。

歴史とは面白いもので、教科書で勉強しても何も頭に残らないが、現地で話を聞くと感動ひとしおとなり、その時その人はどう考えたのかなどと思いふけったりするものである。

賑わっていた江戸時代の情景が目に浮かぶような町並みが残る有松に、皆さんも是非足を運んでみてください。 ゲストハウスMADO オーナー 大島

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