旅を深堀
旅ネタのブログが続きます。
旅とは何かを模索しているうちに、だんだん有松を深堀りし始めました。
旅について再度思考する
私の前回のブログ”旅から何を得ますか?”を見た友人が、10年位前に Louis Vuitton が作ったビデオを紹介してくれました。流石は旅行用トランクを源流にするブランドです。10年も前から旅を再定義しています。
そこでは、旅(journey)は、Discoveryであると言っています。self discovery のプロセスだと。
大航海時代(Age of Discovery)から、旅は地理上の広がり、移動プロセスによる新たな発見でした。その後の産業革命から250年あまり、我々は快適な移動手段を手にして、世界中どこにも行けるようになり、情報革命により出発前から現地の様子が判り、目的地ではあたかもwebで検索したことの確認作業のような旅を満喫できるようになりました。
「これでいいのだ!」と言えれば簡単ですが、「これでいいのか?」ですよね。
それに対して、Louis Vuitton は旅を self discovery と表現しています。
では、どうやって self discovery をするのか?そこには、智の広がりが必要だと思います。
情報革命によって、我々は知識の収集プロセスを得ました。ただ、それだけでは智は広がりません。智は、知識を集約して手に入れ、その上で体験、経験をして始めて広がりを見せると思うのです。
人と出会い、その文化を味わい、多様な考えを受け入れること、そこで起きる共感によって智が広がり、自らを発見することが出来るのでは、ないでしょうか。
有松を深堀
MADOのある有松は、東海道沿いのまちです。絞り染めの伝統産業で形成されたので、観光資源と言うとすぐに”有松絞り”ということになりがちですが、その前提条件をもう少し考えてみました。
江戸時代に東海道は旅する人の往来で、たいそうにぎわっていました。
お伊勢参り(おかげ参り)が盛んで、一説によると年間(農閑期の2か月間ほど)で、300万人以上の人が伊勢神宮をお参りした年もあるとか。なんと人口の1割以上の人々が、旅をしていました。
その上、参勤交代などが加わり多くの旅人が東海道を行き来しており、有松絞りはそれらの旅人に向けたお土産品としての性格が強かったのです。
そう。旅がなければ成り立たなかったまちなのです。

時代を経た有松で提供できるもの
有松の歴史的建造物では、現在も普通に住人が居て営みを続けています。絞り商を続けているお宅もあれば、絞り商を辞めたお宅もそのまま住居として建物を使い続けています。
いうなれば普通のまちなのです。
一般的な観光地では、元の住人がそこには住んでおらず、外部の業者がお宅を借りて軒を連ねる様子をよく見ますが、有松は住人がいるためにそういった観光地にもなれずに、ただ歴史的な建物が佇むまちとして残っています。
福岡県糸島のゲストハウスオーナーが、3年ほど前にMADOを訪れた折に「ここには本物があるね」とつぶやいて帰っていきました。有松には、住人がそのままいて、営みがあるのでそう感じたのだと思います。
このことは、self discovery の旅(journey) には、非常に大きな資源となると思いませんか?住人と旅人が顔と顔を向き合わせることが出来れば、共感を生み自らを見直すきっかけになりうる。
それに加えて、絞り産業がある。伝統工芸を継いでいる若い担い手もいます。文化や江戸情緒に触れながら、循環社会への考えも深まります。
旅の醍醐味
先日、MADOの写真を撮影しに来てくれた あんでぃ さんは、旅する photographer です。彼に「旅とは何ですか?」と尋ねると、旅は生活だと答えました。旅の間、住んでいる家をリロケーションして、旅をしていると名古屋で生活しているより安く済むこともあるのだとか。まさに旅が生活になっている!
長期滞在している宿での、現地の人やそこに訪れた旅人との出会いは、イメージを無限に膨らませてくれると言っていました。

有松で、ゆっくりとそんな旅を提供することを始めてみようと思います。
始めは、形を作ってそこにゲストを招くことから。定着していけば、旅人が自由にこのまちを味わえるような地域になっていくと思います。
日常生活では、Keep することを求められます。残念ながらそこには発見がありません。生活を維持するために会社に勤め、満員電車に毎日揺られて・・・
あなたも日常生活から逃れて、self discovery の旅に出掛けてみませんか。
MADOオーナー
大島